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昭和八年十月
陸軍技術硏究所
一、輕機動戰車
二、重戰車(甲案)
三、重戰車(乙案)
1933年10月、陸軍技術研究所は次期主力戦車の開発についての中間報告を関東軍、陸軍歩兵学校、陸軍騎兵学校宛に発しました。レポートには「輕機動戰車」「重戰車(甲案)」「重戰車(乙案)」の3つが記されており、それぞれのちの九五式軽戦車、九五式重戦車、九七式中戦車の設計の基礎となっていることが見て取れます。題名の「機甲部隊新設」は1934年6月に関東軍麾下の機甲旅団として新設された独立混成第一旅団のことで、日本陸軍が対ソ戦を意識して機甲部隊の整備を行っていたことがわかります。
独立混成第一旅団は、対ソ戦における日本軍の機動作戦を担う目的で1934年6月、関東軍主導で設立されました。当時満州国に対し積極的ではなかった政府及び参謀本部はこれを追認した形になります。独立混成第一旅団は当初は八九式中戦車と各種装甲車で構成されていましたが、1936年から37年にかけて改編され、九五式軽戦車と九七式中戦車、九七式軽装甲車で構成されることになりました。当時の日本陸軍の渡河能力では九七式中戦車を積極的な機動攻勢任務に用いることは困難であったため、九五式軽戦車を機甲部隊の主力として九七式中戦車が随伴歩兵の支援を行うことが想定されていました。
昭和八年十月
陸軍技術硏究所
一、輕機動戰車
- 關東軍ノ要求ニヨル
- 躙軌焚璽稜.
- 全長 四・三米
- 全幅 二米
- 全癲 ‘鵝三米
- 重量 六屯
- 主武裝 試製三十七粍戰車砲
- 機關銃 九一式車載輕機關銃
- 裝甲 最大十二粍
- 發動機 三菱A六一二〇VDe 定格一一〇馬力
- 速度 時速四十粁
二、重戰車(甲案)
- 本案ハ步兵支援戰車トシテ裝甲及兵裝ヲ重視スルモノナリ
- 躙軌焚璽稜.
- 全長 六・五米
- 全幅 二・七米
- 全癲 ‘鵝Χ緤
- 重量 二十六屯
- 主武裝 試製七十五粍戰車砲
- 副武裝 試製三十七粍戰車砲
- 機關銃 九一式車載輕機關銃 二挺
- 裝甲 最大七十粍
- 發動機 BMW六二九〇AG 定格二九〇馬力
- 速度 時速二十粁
三、重戰車(乙案)
- 本案ハ機動戰ヲ念頭ニ置キテ速力ヲ重視スルモノナリ
- 躙軌焚璽稜.
- 全長 六米
- 全幅 二・四米
- 全癲 ‘鵝ο司
- 重量 二十屯
- 主武裝 試製七十五粍戰車砲
- 機關銃 九一式車載輕機關銃 二挺
- 裝甲 最大四十五粍
- 發動機 三菱A一二二四〇VD 定格二二〇馬力
- 速度 時速三十八粁
1933年10月、陸軍技術研究所は次期主力戦車の開発についての中間報告を関東軍、陸軍歩兵学校、陸軍騎兵学校宛に発しました。レポートには「輕機動戰車」「重戰車(甲案)」「重戰車(乙案)」の3つが記されており、それぞれのちの九五式軽戦車、九五式重戦車、九七式中戦車の設計の基礎となっていることが見て取れます。題名の「機甲部隊新設」は1934年6月に関東軍麾下の機甲旅団として新設された独立混成第一旅団のことで、日本陸軍が対ソ戦を意識して機甲部隊の整備を行っていたことがわかります。
独立混成第一旅団は、対ソ戦における日本軍の機動作戦を担う目的で1934年6月、関東軍主導で設立されました。当時満州国に対し積極的ではなかった政府及び参謀本部はこれを追認した形になります。独立混成第一旅団は当初は八九式中戦車と各種装甲車で構成されていましたが、1936年から37年にかけて改編され、九五式軽戦車と九七式中戦車、九七式軽装甲車で構成されることになりました。当時の日本陸軍の渡河能力では九七式中戦車を積極的な機動攻勢任務に用いることは困難であったため、九五式軽戦車を機甲部隊の主力として九七式中戦車が随伴歩兵の支援を行うことが想定されていました。
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